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YAHOOより


リーグ初優勝へ向けてひた走る浦和は昨年の営業収入が約58億円でJリーグNo・1だった。Jリーグ発足直後は、50億円を超す収入のチームもあった。プロ野球や海外のビッグクラブと比べてしまえば規模は小さいが、浦和の藤口光紀社長(56)が胸を張るのはJダントツの入場料収入19億円だ。これこそが15年間の努力の結晶だった。

 93年の発足から3ステージ連続最下位で「お荷物」と言われた浦和が、戦力強化以上に取り組んだのが地域密着だった。日本リーグ時代は東京・調布市に練習場があった。チームがほしいサッカー王国・浦和市(現さいたま市)と、ホームタウンを探していた三菱自動車の利害が一致してできたチームは「サッカーで結ばれた純愛だからこそ、浦和から愛されるチームにならないと」(藤口社長)と、全国区ではなく“浦和のチーム”を目指した。

 1年目は主催18試合中17試合を浦和の駒場サッカー場で開催した。6万人収容の国立競技場は魅力だったが、地元にこだわった。三菱自動車全社員が毎月50円ずつ出して運営していたサッカー部後援会も解散。サポーターズクラブとは別に、スタジアムに行けない人のための組織や年間シートも用意した。

 開幕時の監督だった森孝慈氏(62)は、試合に負けた夜も焼き鳥店でサポーターと向かい合った。負けた翌日に市長らと盆踊りを踊ったこともある。だからこそ、収容人員の大きいさいたまスタジアムに拠点を移しても成功した。三菱色を消して自立したことで、親会社の経営が厳しくなっても影響はなかった。

 犬飼基昭前社長(64=Jリーグ専務理事)は「自立はリスクがある。親会社があれば安心だが、どこを見て経営するかだ」と言う。クラブの規模が大きい分、常に全試合満員になる前提ですべてが動いている営業は過酷だ。肝心のチームには、まだ日本一という大きな宿題が残っている。浦和の努力は続く


感想

こうした地道な努力を

していたからこそ

現在に至るんですね。

私ももちろんレッズファンです

がんばれ

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